東京:03-3505-0055 大阪:06-6347-5511

紀ノ国屋 世界の食卓から

パンのお話

チーフベーカー鈴木喜男氏に聞く
伝統ある世界のパンを本場そのままに、こころを込めてつくり続けている、
パン職人の鈴木喜男さんにお話をうかがいました。

■どんなパンをつくっていらっしゃいますか?

常時200種類以上ですね。
 例えばチーズフェアの時はチーズを使ったパンを取り上げるなど、そのシーズンの企画にそって随時10種類位は変えています。
 昭和31年に紀ノ国屋ベーカリーを始めてから、主食パンを中心に、最近はお客様の嗜好に合わせておやつ的なパンも扱うようになっています。しかし、やはり食パン、フランスパン、ドイツパン、アラブ系のパンといった主食系統のものが基本で、全体の7割を占めています。
というのも、ベーカリーができた当時は紀ノ国屋に来店するお客様の大半は外国の人で、サラダは何にしようか? メインは?チーズは?ワインは何を選ぼうか? そしてパンは?という流れで買い物をしていました。今もそのひとつの流れになっているスタイルは崩せません。甘いおやつパンばかりが増えると他の商品にも影響してしまうのです。
 紀ノ国屋で一番売れているのは、イギリスパンです飽きのこないホップ種の香りがするおいしいパンです。

■どんな国でパンづくりの勉強をされたのですか?


紀ノ国屋オリジナルのフィンランドのパン

最初はアメリカでした。
 戦後、日本にアメリカの粉文化が広められ、盛んにパンがつくられました。しかし技術がともなわない。そこでまずアメリカのパンを徹底的に学ぶことが必要だったのです。当時(昭和30年頃)月給が一般的に8,000円位の時代に、ロールパンが1個30円。高いパンが飛ぶように売れました。
「高くてもかまわない、その代わり“いいもの”をつくる」がモットーでした。外国のVIPが集まるサロンやレストランにもおさめていたので、フランスパンやバターロール、ブリオッシュやクロワッサンもつくりました。
昭和30年代には、戦後の経済復興でヨーロッパの人々がどんどん日本にやってきました。その中で、ドイツ人はトランクに黒パンを入れて持ってきました。日本には白パンしかなかったからです。
 そこで大使館から、ドイツの黒パンを勉強して日本でつくってほしいという依頼があり、ベーカリーのスタッフ一行がドイツに行くことになりました。デンマークとの国境に近い北ドイツのパン職人の家で、ドイツパンの原料になるライサワー種からつくる技術を学んだのです。
 ドイツの人は堅いイメージがありますが、いったん心が通じ合えば、心底親しくしてくれるというのは本当で、職人は最初の1週間、私の様子をみた後、「よし、今日から家族の一員だ」といってくれました。それからは台所にも勝手に入っていいし、家族同然、それ以上の親しみを持ってくれました。
「パンのつくり 方はすぐ覚えられる。 大切なのは、“ パン の食べ方” を知らなければならない。」

ドイツの食生活から学びました。最初は3ヵ月、私が34歳の時です。
 その後、イタリアやスイスなどヨーロッパ各地を勉強してまわりましたが、最初に基本をしっかり教えてもらったので、どこへ行っても困らなかったです。

■ドイツにはマイスター(徒弟)制度はあるのですか?

完全なるマイスター制度です。
 自分でベーカリーを始める時や、大きな工場の長になる時にもマイスターの資格が必要です。マイスターの下のゲゼルという資格をとると、一般のパン職人としてわたり歩くことができます。その下は見習いです。マイスターが見習いを教育する義務があり、週1〜2回勉強する国の機関があります。3年間その学校に通った後、ゲゼルの試験があります。
ドイツに限らずヨーロッパは徒弟制度ですから、各国に同じような システムがあると思います。

■クリスマスが待ち遠しい頃ですが、クリスマスのパンにはどんなものがありますか?

 ドイツの場合はシュトーレン(ドライフルーツの入った細長いパン。
 日持ちが良く、薄く切って食べます)、イタリアはパネトーネ(天然酵母のパネトーネ種を使ったドライフルーツが入ったしっとりとしたパン)、イギリスはクリスマスプディング(何種類ものドライフルーツとスパイスを使って蒸し上げ、黒くて濃厚な味が特徴)やパウンドケーキ、アメリカでも酒漬けのフルーツが入ったケーキがあります。
 紀ノ国屋では毎年11月末からこれらのクリスマスパンを売っています。お歳暮ギフトも多く、シュトーレンは毎年人気です。5、6年前から需要が増えはじめ、つくるのが間にあわないくらいですね。

■紀ノ国屋のパンづくりのモットーは何ですか?

 「添加物は絶対に使わない」ということです。
 ベーカリーを始めた頃、日本では強制的に粉を漂白していました。戦時中に「白いご飯が食べたい」という憧れがあり、パンも白いものを、ということだったのです。当時の紀ノ国屋の社長は、私の親方に「漂白していない粉を使ったパンはできないかな」といいました。そこで製粉会社に相談し、特別に紀ノ国屋のために漂白していない粉を用意してもらったのです。
 以来、添加物はいっさい入れないという姿勢は変わりません。「食べ物は薬」というポリシーに基づいています。その分、手間ひまはかかりますが・・・。
▼エッセイ トップに戻る