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紀ノ国屋 世界の食卓から

パンのお話 第2回

チーフベーカー鈴木喜男氏に聞く
昭和三十一年の創業以来、“添加物はいっさい使わない”というモットーを守って、
おいしいパンをつくり続けている紀ノ国屋のベーカリー。
チーフベーカー鈴木喜男さんのパンヘのこだわり、
時代に沿って変化する日本のパンの文化などを前回ご紹介しました。
今回はその続きです。

■パンを食べて強くなったエジプト

パンの歴史をたどってみると、私たちが旅をして目にするヨーロッパ各地のパンの特徴や、違いなどが判ってくるということから、鈴木さんのお話が始まります。
人類が最初に小麦を手にした地域はイラン高原だといわれ、パンの起源もそこにあるのだそうです。旧約聖書によれば、エジプト文明が栄えた頃、神殿に供えるために小麦粉を焼いたものがつくられていました。粉をこねて焼くだけのいわゆる≪無発酵パン≫です。『ある時、こねたまま焼かずに放置されていたものを試しに焼いてみたところ、これが非常においしかったというわけです。』私たちが現在食べている≪発酵パン≫の始まりにまつわるエピソードだとか。
『エジプトが戦争に強かったのは、パンを戦場の携帯食にしていたからじゃないかと思うんです。相手の軍隊が食事の煮炊きをしている間に、ワーッと攻め込んでしまう…。』
いかにもパン職人らしい想像です。パンが強力な武器にも勝るとすれば、エジプトの王家がパンづくりの技術を大切に守ったこともうなずけます。その技術はギリシャに伝わり、後のローマ帝国によってヨーロッパ各地へ広まりました。ワインがヨーロッパに普及したのと同じルートをたどって、パンもイタリア、フランス、ドイツなどへもたらされたのです。
「ワインはキリストの血、パンはキリストの肉」と最後の晩餐でイエスが弟子たちに説いたとするキリスト教も、両者をヨーロッパの人々に受け入れさせるために大きな役割を担っていたのです。

■三百種類もあるドイツのパン

 『中世の頃のドイツでは、各地の領主が粉を挽く水車もパンを焼く窯も所有していて、それを領民たちに貸して税金を徴収していました。地方によって粉の種類が違い、焼き方にもそれぞれの地方色が表れて、それが今日、ドイツで三百種類ものパンが楽しめるということにもつながっているわけです。』
 ドイツに限らず、気候風土が違えば、その土地で栽培収穫される原料も異なってきますので、ヨーロッパのパンの種類は、焼き方の違いもあって多種多様になりました。土地が肥えているところでは、良質な小麦粉を使ったパンが多く見られます。フランスの田舎風のパン≪カンパーニュ≫や、イタリアの≪フォカッチャ≫などの直焼きパンがその例です。アルプスの北側のドイツやオーストリアでは良質の小麦が採れなくて、ライ麦が原料に使われます。北欧でもライ麦のパンが多いようです。

■黒パンは健康食の王様

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 『ライ麦を原料とする黒パンは、体に非常によいのです。ライ麦には、豊富なビタミン類に加えて鉄分、カルシウム、カリウムなどのミネラルがたくさん含まれています。さらにはライサワーという乳酸発酵成分と、多量の繊維質が含まれているので、整腸作用も非常に強力です。』
 『われわれ日本人は、上あごにくっつくようなネチャッとした食感が好きですね。菓子パンやお惣菜風のパンが人気ですが、考えてみるとこれはおまんじゅう感覚なんです。』
 材料を型に流し込んで焼く≪食パン≫は、ヨーロッパではイギリス以外でほとんど見かけませんが、フランスの《バケット》に代表されるパリパリしたパンの対極にある、柔らかくて粘り気のあるパンです。日本人はその食パンを好んで食べますが、欧米人の多くは、パサッとしていて堅く、口の中でぱあっと広がるようなパンが好きなようです。黒パンはこのパサッとした堅いパンですが、栄養満点でヘルシーですから、たくさん食べて健康でいたいものです。

■赤ちゃんにも黒パン

『来店したドイツ人のお母さんが、赤ちゃんの離乳食として黒パンをそのまま与えているのを見てビックリしたことがあります』
 驚いた鈴木さんはさすがパン職人、よく観察すると、黒パンは口の中でパサパサと広がって喉にくっつかないので、親も安心して与えることができるのだと合点がいったそうです。
 『日本の食パンは、唾液でダンゴ状になってしまいますから、飲み込めなくて喉につかえてしまいます。赤ちゃんに与えてはいけません。』

■エジプトパンも日本風に

 食感の好みは食文化によって異なるので、外国から伝わったパンを日本人の好みに合わせて工夫することも重要だと鈴木さんは考えます。二十五年前にエジプト大使館の注文で焼いた≪シャミー≫というパンを、紀ノ国屋では日本人向きにアレンジしてつくりました。エジプトや中近東で食べられているペチャンコなこのパンは、本来なら小麦の皮まで一緒に挽いた全粒粉を原料にするのですが、鈴木さんは日本人の口に合うように、小麦の芯だけを挽いた白い粉で作って、人気商品のひとつに仕立て上げたのです。
各地の食文化をパンを通して伝えたいという鈴木さんが、最後にこんなことを打ち明けてくれました。
 『欧米で生まれたパンを日本でつくる場合、気候の違いが悩みの種なんです。』
 その一例がライ麦の黒パンだそうです。健康に良くて日持ちがするのが良い点なのですが、日本ではこと日持ちに関して問題が生じるというのです。ヨーロッパの乾燥した風土では日持ちのする黒パンも、高温多湿の日本では梅雨時から夏にかけては一晩でカビが生えてしまうことがあるからです。

 『防腐剤を加えればいいのでしょうが、“添加物はいっさい入れない”のがモットーですからね。早く召し上がっていただくしかないんです…』とはいえ、パンづくりが楽しくて仕方がないと語る鈴木さん。これからもおいしいパンを私たちの食卓に届け続けてくださることでしょう。

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