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昭和三十年頃の日本では、チーズは単に栄養食品と考えられており、ナチュラルチーズを原料にして加工したプロセスチーズが主流でした。そんな時代から紀ノ国屋では、船で運んだオランダやデンマークのチーズなど約二十種類のナチュラルチーズを扱っていたそうですが、当時の日本人には“食事の一環としてのチーズ”という認識はまだなかったようです。
『私が子どもの頃の記憶では、チーズといえば缶に入ったスティックチーズでした』という森下さんは、紀ノ国屋に入社した当時、チーズの大きなかたまりをその場でカットして販売する方法を見てビックリしたそうです。
その後、森下さんはフランスのリヨンのチーズ屋さんに、木村さんはデンマークのアンデルセンの故郷オーデンセ近郊にあるチーズ学校に修業に出かけ、それぞれに本場の作り方や売り方を学びました。
『“現地のものを自分の目でみて確認してくる”ということが、チーズだけでなく紀ノ国屋で扱う商品すべてに関して徹底されているのです。作っている人の気持ちを考えなければ、売ることはできないとよく教えられました』
『チーズは肉や魚、野菜などと同じで、自分で切ってパックして売る生ものなのです。どんな風に作られたか、作った人がどんな思いで世の中に送り出したか、それを知ることが大切だと思います』
第一次チーズブームが起こったのが今から十年ほど前で、日本ではワインよりも先に人気を呼んだのがチーズでした。
『ちょうど宅配のピザが始められた頃で、チーズの消費量がぐんと伸びました』
『チーズに関する記事が雑誌にあふれ、チーズの本も次々に出版されて、ピザやグラタンなどチーズを使った料理も大人気になったのです』
それを機にしてチーズは単なる栄養食品にとどまらず、料理の材料からデザートまで幅広く用いられるようになりました。チーズの普及に対する宅配ピザの貢献度は計り知れない、そう口をそろえるお二人です。ピザの人気が上がるにつれて、紀ノ国屋でも「溶けるチーズが欲しい」というお客様が多くなって、ドイツのシュレッドチーズや、今も宅配ピザでも使われているデンマークのサムソーチーズなど、溶けるタイプのチーズがよく売れるようになりました。
その後だんだんと、そのままオードブルやデザートとして食べるチーズが注目されてきます。ヨーロッパを旅した方が「フランスで食べたあの味が忘れられない」と、本場の味を求めて紀ノ国屋に来店することも多いそうです。
チーズの分類は細かく見れば何種類にもなりますが、大きくは料理に使うかそのまま食べるかの二つに分けられます。
『ヨーロッパでは、多くの店が独自に熟成させたオリジナルのチーズを売っています』
森下さんはリヨンの店で修業中に、毎朝チーズをひっくり返す作業を担当していました。その作業をしながら、チーズの熟成の具合を見るのだそうです。食べごろのチーズを出すのが職人としての腕の見せどころなのです。
『日本の漬物屋さんと似ていますね。あそこの店の茄子の漬かり具合はいつもいいからまた買っておいでよ!というのと同じ感覚なんです』
漬物といえば、ご飯に添えられるものであり、お酒のつまみでもあります。まさにチーズとパン、チーズとワインの関係といえましょう。
『特にワインとは切り離せない関係があります。紀ノ国屋でもチーズの担当者でワインアドバイザーの資格を持っている者もいます』と木村さん。飲むワインにぴったり合うチーズをおすすめできることが大切なのです。
『チーズをそのまま食べるというのは毎日は続きません。パンやクラッカー、カブリ(全粒粉でできたクラッカー)などと組み合わせると、食べる楽しみも広がります』
ドイツの黒パンやフランスパンにチーズという組み合わせは、ポピュラーな食べ方です。くせがあり敬遠されがちなブルーチーズも、バターと混ぜてパンに塗ると食べやすくなります。また、ブルーチーズは果物ととてもよく合い、洋梨やいちじくと一緒に食べるとまろやかな味わいで、大変おいしいそうです。チーズと合わせるものを考えるのが楽しくて、いろいろ試してみたというお二人。
『クリームチーズに、おかかとしょうゆをかけると結構イケるんです』
『ゴーダチーズには日本茶が合いますよ』
最後にチーズを販売するのに一番大切にしていることはと伺いました。
『お客様とのコミュニケーションです。迷っているお客様に実際に試食していただきながら、おすすめのチーズをご紹介します。見るだけでなく味わっていただき、会話をもつことによって我々もお客様も知識が広がっていきます。ヨーロッパではこんな風にして食べていたのよ、我が家ではこんなものと組み合わせているのよ、などと教えていただくことも多いのです』
『チーズにも旬があって、食べごろのもっともおいしい状態のチーズをおすすめするように心がけています』
これから人気が集まりそうなチーズとしてお二人がおすすめするのは、スイスのテテ・デ・モアンヌ。薄く切ると花びらのようにきれいな形になり、コクのある食感も楽しめるそうです。
お話の中にチーズに寄せる情熱がみなぎる森下さんと木村さんの表情には、紀ノ国屋の職人気質があふれていました。