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『巨大氷山が流れ着く町、イルリサットからの手紙』
宮野 護様(石川県)  
 

僕はオーロラを訪ね歩き、今までに14回北半球を巡る旅をし、ここグリーンランドは今回は3回目の訪問だ。
 旅の中で多くの人々に出会った。旅は素晴らしい。
 この旅で出会った素敵な一人の若い女性の旅人のことを、あなたに書き送りたい。
 2002年2月25日、北緯66.5度、グリーンランド島カンゲルルススアークは快晴だった。先日降った雪が地表を純白に塗り上げていた。この大地をカナダ製のデハビランド8の小型機は、零下32度の大気を大きく吸い込み、双発の小さなジェットエンジンを身震いさせて、永久凍土の大地をあとにした。機種を北に向け海岸沿いに、イルリサットを目指す。
 機内の小さな窓からの眺めは美しかった。海面は全て凍り付き、強い風に吹き飛ばされたのか、樹木のない茶色の岩肌がどこまでも続き、そのあいだに巨大な氷河が横たわる。
 このツアーで知り合いになった、Nさんが窓に顔を寄せながら「あら、ここの町の人々は、お買い物や急病の時どうするのでしょうかね」と心配顔で外を眺めていた。
 不思議な静寂が支配する町、外部に通じる道路も、飛行場も無く港の船は凍り付いていた。人家や発電所から、少しでも蒸気が出ていればホッとするものの、ここには生活感が感じられない。
 凍り付いた町、ここに住む人々の生活の苦労が偲ばれる。


イルリサット(イメージ)

 飛び立ってから、およそ40分程で機体は高度を下げはじめた。色とりどりの可愛い町がまばらに見える。凍った海は白いスリガラスのように、平らに広がり鈍く光っている。光の中に巨大な氷山、直径およそ800メートルから1000メートル位の円形で、その縁は高さ340メートル位の垂直の壁になって切り立ち、クリスマスケーキのような形をしている。イルリサットの港近くに、10個ほどが少しづつ間隔を置いて佇んでいる。はじめて見る驚きの風景。
 イルリサットは氷山の流れ着く街らしい。このツアーの名前は、ズバリ『神秘の島グリーンランド』、サブタイトルは「人気のオーロラポイントと氷山の街イルリサット」とあり、ここは氷山の街だ。来て見て驚いた。
 ホテルは空港から近く、イルリサットの街を見下ろす高台にある瀟洒な二階建てのアークテックホテルで、各部屋からは街と氷山が眺められた。
 港はホテルの真下の入り江にあり、多くの漁船が岸壁に繋がれたまま凍り付いていた。漁港の中の大きな建物では、盛んに蒸気を吹き上げていて活気にあふれていた。ここは、北極の海でとれる海老や魚の加工をしている工場だった。
 港からはなだらかな丘陵地が広がり、その中に色とりどりの家がまばらに立ち並んで街を形成していた。家々は赤と緑に黄色とに塗り分けられており、黄色が病院で緑は住宅、そして赤は商店やレストランなど人の集まる所と決められている。
 天気もよく、街の散策は楽しかった。写真になりそうな珍しい被写体に夢中になった。特に気になったのは、大きな島のような氷山が凍り付いた海の中を動き回ることだ。氷山が動くと、厚く張り詰めていた氷が割れて大量の蒸気を吹き上げる。
 この日の気温は零下23度。凍らない海水との気温差が高くなり、蒸発しているものと思われる。不思議な海、夕日に赤く輝く氷山と氷山が割砕いた海面から、オレンジ色の蒸気が立ち上る写真は、思い出深い1枚になりそうだ。夕日が氷山のかなたに沈みはじめると、夜の訪れは早かった。


(イメージ)
 ホテルの窓からの眺めは、緑色の水銀灯やオレンジ色に輝くナトリウム灯に彩られた街と、積み木細工のようなカラフルな家々が窓辺に白色灯の明かりをともして佇む姿、それは、箱庭に並べられた夢の街。この眺めの上にあのオーロラが出現したらと思っただけで、胸が喜びで高鳴った。思い巡らせているとき、電話のベルで我に返った。
 あの美人のNさんからだった。ホテルのレストランへのお誘いだ。急いで、バーコードのようになったひと並べの薄い髪の毛を整え、洋服を着替えた。そして、オーロラの出現に備えて、カメラに三脚をセット。分厚いダウンジャケットや手袋などの防寒具をすぐに着用できるようにと、ベッドの上に並べた。
 北欧のオーロラは早い時間に出現しそうなので、ホテルのレストランはオープンする五時に予約をいれておいた。
 約束の時間どおりに、彼女は颯爽と現れた。濃い緑色のニットのワンピースに赤い靴、化粧は服装に合わせ、ミントグリーンのアイシャドウが目元を魅力的に引き立て、そのセクシーなシルエットは目のやり場に困った。このレストランから見る街の眺めは素晴らしい。どんな画伯でも描ききれないだろう。
 食事のメニューは、地元産の鱈料理を選んだ。からっと油で揚げた鱈に甘辛く透明な薄茶色のソースがかけられて、人参とジャガイモが添えられていた。取り合わせは鮮やかな緑色の香味野菜で飾られていた。
 出会いの楽しさの乾杯は、緑色のラベルのデンマークビールで。話に花が咲いた。彼女は、うら若き独身のお医者さん。麻酔医として一日中手術室の中で患者さんの命を預かるお仕事をしていられることだった。


(イメージ)

 そうしているうちに、イルリサットの街の上にかすかにオーロラが出始めた。楽しい話も食事も程々にして、彼女を置いて外に出た。レストラン前のテラスにカメラをセット。
 寒い寒い、気温は零下40を超えたのか、ファインダーを覗いていたら、自分の吐く息が真っ白な霜となってカメラに積もっていく。
 独りぼっちになったNさんは、オーロラを眺めながら静かにビールを楽しんでいる。頼りないオーロラは時々現れた。

 重い病に苦しみ手術を受ける患者さんのか細い命を守る仕事は、彼女に多大なストレスを与えるのだろうか。
 今穏やかな表情で、オーロラと対話をしながら静かにグラスを傾けていた。

 オーロラは、薄い透明な緞帳を吊るして下がってきた。この淡い光は、心の安らぎを呼び覚ます癒しのドラマの幕開けか。
 肩より長い黒髪を左手に添えて、静かに静かにビールを注いでいる。
 凍てつく海に、巨大な流氷がいきづく不思議の世界。イルリサットの街とオーロラの青い光は、彼女の心と重なりながら、今宵は一段と明るく輝くスバル盛運の周りを、いま漂う。